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月の妹⑤ サハリンロード


 ──サハリンの住人であるギリャク(ニブフ)、オロッコ、アイヌは木から生まれた。ギリャクはカラマツ、オロッコはシラカバ、アイヌはトドマツから生まれたとギリャクの言い伝えにある。最初のアイヌ、ギリャク、オロッコはこのような木の、木から流れ出て地上に滴り落ちる樹液^から生まれた。(東北アジアの神話・伝説 萩原眞子) 

北海道のすぐ北にあるにもかかわらず、サハリンは歴史的経緯のためか心理的には遠いところです。でも、13世紀ごろには「北の元寇」などと呼ばれるさまざまな民族の活動があったようですね。日本史の時間には習わなかったような気がしますが。


以下はそんなサハリンを背景に踊りを作ったときのメモです。つれづれにお読みください。


「サハリンロード」

 サハリンの歴史は、この島自体が長く大きい道であることを示している。この地は千島列島とともに大陸と北海道を結ぶ位置にあり、古来よりさまざまな民族が定住し、また多くの人々が文物を携えて南北に往来した。


この大きな島にこのような思いをよせていると、うっすらと心に見えてくるのは一条の幻想の道である。森や平原を縦断し、山岳をうねるように越え、南北に貫く不可視の道。それははっきりと姿を現すことのない道、歴史に刻まれることのない瞬時に現れては消えていく道だ。そのような幻の道を歩く人々とはどのような人々であったであろうか。


あるときその道でなにかが揺れ動き、そしてまた何ごともなかったように静寂につつまれる一瞬の交錯があった。そのときのことを話してみよう。


一人の娘が森のなかの道を歩いてきた。娘の心はなぜか弾み、また何かしら物憂く、森の木々に語りかける。森の木々たちはその様子に心を動かされてざわめき始め、「世界を見続ける者であること」をやめて、風に揺れ、踊り始める。


この騒ぎに森の精霊は子リスのような小動物にすばやく変身して様子を見に現れ、動き出す木々に向かって「お前たちは(踊ったりすることのない)見続ける者であるはずだぞ」と、さとすように踊る。こう言い残すと、精霊は人間である娘に姿を見られないようにして消える。


しかし一度踊る楽しさを知った木々は、風の動きにあわせて静かに踊り続ける。娘は生命力にあふれて踊り、森の木々もこれに応じる。


そして喜び踊る木々で森全体が動き始めてしまい、今度は娘が驚くが再び森と一体になって楽しく踊る。


おさまりそうもないこの騒ぎを、精霊がそっとのぞきに現れたときに時間が止まる。


 それにしてもなぜ木は「世界を見続ける者であること」、人々に限りない力を与えるだけの存在をやめて自ら踊りだしたのか?長い年月にたくさんの人々がなにごともなく通り過ぎて行ったのに、この娘が現れたときに動き出して、移動の自由を手に入れ、別の存在になったのはなぜなのか。娘の心やしぐさに思わず感応してしまった一本一本の木々は、その思いを次々に伝え、ついには森全体として動き出す。こうまでして踊るのは、一体何が起きたのだろうか。


 これまで森の道を通り過ぎていった人々の中にも、木々と言葉を交わせる者たちがおそらく何人かいたに違いない。近くに行くたびに木や森はたくさんのエネルギーを私たちに与えてくれるが、逆にそうした人たちは木や森に対して大きな喜びの力を与えるものらしい。実はその力とは世界中の木々がいつも心の底から欲しがっているものだ。


何百年かの間に木と話せる者たちがサハリンの森の木々に与えた力は、いつのまにか森全体にしみ込み溢れていったのだろう。それは木々が自ら動き出す日の準備となっていた。


 そしてある日美しい娘が通りかかる。今までの木と話せる者のばあいと異なり、娘は人間としてではなく命そのものとなって木とともにあり、そのように振舞った。娘の心の揺れと高まりは言葉を通さずに直接木々にしみこんでいった。


 こうしてサハリンの幻の道を見下ろす森は、ある日自ら踊るようになったのだ。素知らぬ顔をして立っている森の木たちは、いつでも踊り始めることができるものになっている。

 




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